ドギツさが欲しい
投稿日:2021/08/03
こよなく大きい目に、笑うとよく現れる頰が愛らしく、血の気は薄いが意気は活発、世馴れた物腰、談笑、打ち解けた相好を見るに、実社会でもさぞかし人気者であろう。そんな彼女、さすがにカメラの前では恥じらいもあろうが、素肌を晒すも割合平気、少女らしい乳房は四つに這ってようやく谷間を作るほどで、あぶらが乗ったとは言えない未成熟な身体ながら、半裸のしどけなさ、大股開けっぴろげて、すとんすとんと突きを許す締まりのなさ、そのたびに目も口も声も緩んで、廉恥心もヘチマもなければ、神も仏も信仰もない。そして幸いなるかな、左の真ん中にぽつんと浮かぶほくろのために、より一層全体が白く見えるお尻も小さいながら可憐、風呂場の暗がりの中、シャワーに濡れオイルにまみれて、僅かな明るみを映してぬらぬらと輝くさまは、悩ましいというよりはしおらしい情趣があった。が、欲を言うなら、一つや二つのドギツい画が欲しいところ。誰もが望むドギツい画、しかし、ことさら技巧を凝らす必要はないと小生は信じている。そのしおらしい後ろっかわを丹念に撮って、じっくりとお尻の穴を接写すること。それだけでいい、それだけでいいのだ。ふう